第3章 社会教育団体としてのPTA
第3章 社会教育団体としてのPTA

【第5節 日本PTA全国協議会の新たな活動の展開】公益事業の展開

2. 公益事業の展開

(1)日中友好「少年少女の翼」

社団法人設立を契機に公益事業第1号として企画されたのが、日中友好「少年少女の翼」事業であった。昭和60年(1985)10月理事会で派遣を決定し、翌年3月、全国地方協議会から推薦の男女中学生58名が北京に向けて出発した。派遣の人員は、第2回以降中学2年生120名となった。

(2)「月刊PTA」

昭和61年(1986)3月、月刊誌「月刊PTA」の発行が決定され、翌62年6月に創刊された。 PTA活動の活性化に役立つ情報や資料を豊富に盛り込んで、学校と家庭の連携を促進するとともに、日本PTA全国協議会と各学校PTAを結ぶ架け橋にすることが目的とされた。

水準の高い内容と一般に好評であったが、月刊ということから、財政的な負担が予想以上に大きかった。

そのため、役員を中心に広告要請のため会社訪問を行うなどして事業収入の確保に努めたが、経営の維持には困難を極め、惜しまれながらも、平成2年3月号でやむなく廃刊となってしまった。

将来的には、事業収益を上げて、見込まれる児童生徒数の減少に対して備え得るものと期待されただけに、皮肉な結果になってしまった。

アメリカの協議会の運動を考えても、機関雑誌の刊行は運動推進に大きな力を持つものであり、この失敗を生かして、今後早い段階で新しい雑誌の再刊行が求められるところである。

また、この時期、PTAハンドブック「PTAのすすめ」が昭和59年(1984)1月に完成し、全国に配布された。

さらに、昭和61年9月にはPTAハンドブック「私たちのPTA」の編集が始まり、昭和63年3月に完成している。

(3)映画製作・上映運動

公益事業の一環として、家族の在り方、父親の子育てをテーマにした映画「風のあるぺじお」を映画会社と共同製作した。

昭和62年9月に東京虎ノ門ホールで試写会を催し、その後、全国のPTAでの上映推進を行った。

日本PTA全国協議会では昭和30年から優秀映画の推薦事業は行ってきていたが、自ら製作に関わったのは、初めてのことであった。

(4)PTA 活動事例集

日本PTA全国協議会では、全国のPTAの参考にしてもらうために、昭和59年(1984)度から、優れた実践事例を発掘、収集し、「PTA実践事例集」を作成・配布している。

第1集は「子供の生き方をどう手助けするか」であり、以降、父親のPTAへの参加促進、家庭の教育力の向上、父母と教師の協力、豊かな学校外活動、ボランティア活動など多様なテーマで毎年編集されている。時代の動きを的確に捉えたテーマ設定で、全国のPTA活動の活性化につながる先進的な事例を意欲的に拾い集め、各PTAへ配布し、さらにそれが十分活用されるように努力していくことが望まれる。

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