第3章 社会教育団体としてのPTA
第3章 社会教育団体としてのPTA

【第4節 子供たちの健全育成事業】教育充実への対応

2. 教育充実への対応

(1)学校給食リジン問題

PTA として大きな関心を持ってきた学校給食について、昭和50年(1975)5月、学校給食用パンに添加されているリジン(たんぱく質の一種)について害があるのではないかとの批判が起こり、添加を続けるか否かで問題になった。
文部省は一貫して、リジンは安全であり、さらに子供の栄養摂取上必要であると強調したが、一般国民の同意を十分得るまでには至らず、8月にリジン添加は各都道府県の自主判断によるべきとの通知を発し、9月には文部省として正式にリジン添加の自由化を決定するに至った。

この間、日本PTA全国協議会としても、文部省からの資料を収集し、各学校PTAに流したり、逆に、各学校PTAでの意見や懸念を集約し文部省に伝えたり、全国の父母と文部省との相互の意見交換、理解に意を用いた。

(2)日米教育長等交流事業

日本PTA全国協議会では、昭和52年度から、国庫補助を受けて「海外教育事情視察」を主催して行い、以後毎年、アメリカやヨーロッパにPTA関係者を派遣し、国際交流を深めていった。

昭和53年度からは、日米のPTA関係者、教育長等が相互に訪問交流を行うという「日米教育長等交流事業」も始まり、昭和57年まで5回にわたって続けられた。
また、これとは別に、昭和54年10月、55年10月には全米教育長協議会、全米教育委員会協会代表が来日し、日本PTA関係者、各県教育長などと懇談を行っている。

(3)広報紙コンクール

昭和54年7月、全国小中学校PTA広報紙コンクールが、日本軽印刷工業会の主催、日本PTA全国協議会の後援で初めて行われ、昭和57年からは両団体の共催事業として行われるようになった。
全国の小中学校のPTAから広く募集を行い、優秀作品を表彰することによって、PTA広報活動のレベルアップが図られた。

昭和56年1月、日本PTA全国協議会としては、当時課題になりつつあった公立学校教員の週休2日制について検討し、その結果、時期尚早と決議し、採択した決議文を文部省、人事院ほか関係団体等に対し提出している。

(4)岐路に立つPTA

こうした日本PTA全国協議会の活動にもかかわらず、各学校PTAのあり方については、引き続き、存廃論を含め、さまざまな議論が行われていた。

昭和55年(1980)4月には毎日新聞が、PTA活動が面倒だということから東京多摩地区で「PTA無用校」が増加していると報道した。また6月には、朝日新聞社が「岐路に立つPTA」として、役員難を理由に東京世田谷のあるPTAが解散したことなどを報道するなど、PTAの根本的な在り方について議論は続いていた。

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