第3章 社会教育団体としてのPTA
第3章 社会教育団体としてのPTA

【第1節 社会教育団体としての活動】社会教育団体としての活動

(1)社会教育審議会報告第3次参考規約

昭和42年(1967)6月、社会教育審議会は「父母と先生の会のあり方について」報告を行った。

報告では「従前の父母と先生の会(PTA)の多くは、学校後援会的な事業に重点をおかれ、その面での役割を果たしてきたが、この会結成の趣旨である児童生徒の幸福な成長をはかるための会員相互の学習活動や社会活動等は、必ずしも十分に行われてきたとはいえない。」と現状についての評価・認識を表明する。

その上で、あるべきPTAの目的、性格について、「父母と先生の会(PTA)は、児童生徒の健全な成長をはかることを目的とし、親と教師とが協力して、学校及び家庭における教育に関し、理解を深め、その教育の振興につとめ、さらに、児童生徒の校外における生活の指導、地域のおける教育環境の改善、充実をはかるため会員相互の学習その他必要な活動を行う団体である。」と規定した。

PTA の活動を通して、学校教育と家庭教育についての教師、親相互の理解と協力の推進とともに、校外での児童生徒との生活指導や教育環境改善のための活動など地域社会での活動の推進を強調している。

さらに、会員構成については「父母と先生の会は学校に在籍する児童生徒の親および教師によって、学校ごとに組織される。」とし、現状を前提に、地域の人々の参加を認めないような規定ぶりになっている。
なお、この点については、昭和46年の文部省社会教育局長の行政実例で「PTA会員の資格については、本来それぞれのPTAが自主的に決定するべきものであり、…在籍児童生徒の親でない者を会員にすることは差し支えない」と回答している。
また、「会の趣旨に賛同する親と教師が自主的にできるだけ多く参加することが望ましい。」とし、加入の自発性の原則を堅持しつつ、全員参加という網羅的な加入をも認めるような曖昧な言い方になっている。

なお、付記において、この報告が、昭和29年(1954)の小学校PTA参考規約に変わるものとして位置づけている。

(2)父母負担の軽減の実質化

昭和41年(1967)3月、東京都教育長は区教育委員会あてに通達「義務教育学校運営費標準の設定と公費で負担すべき経費の私費負担解消について」を発するとともに、それを裏付ける予算措置を講じて、学校教育への父母の負担を正常化させる対応を取るようになった。

このことを契機に、他の市町村でも同様な借置が執られるようになり、学校教育費についての、PTAを通した父母の過大な負担は急速に減少していった。

こうしたことにより、PTAの学校後援機能は大幅に低下していったが、しかし、皮肉にも、このことによって、PTAの実質的な存在理由がわかりにくくなってしまった。

あるいは、学校支援以外のPTAの役割が定着していなかったことが明らかになった。このため、ややもすると、PTA存続に対する疑念、廃止論などがあからさまな形で議論されるようになっていった。

こうした中、昭和40年(1965)6月、産業経済新聞社から雑誌「日本PTA」が、創刊された。翌42 年には、有志組織の「PTA問題研究所」が独自の研究会を開催し月間「PTA問題」の発行を始めている。

(3)PTA 解散論

PTA 廃止論の一つに兵庫県教組によるPTA解散・改組論がある。
昭和44年(1969)10月31日付けの機関誌日本PTAにそれが掲載されているが、これによると、PTA の現状での問題点として、

  • 学級での父母と教師の話し合いが実質的になされていない、
  • 各段階での連合体が文部省・教育委員会と癒着し、教育行政機関化している、
  • 地域ボス役員がPTAの後援会的性格を温存させ、力を保っている、
  • 一部ボスや有力者が人事を含め学校の運営に口出し干渉するほか、進学中心の 間違った教育要求をしている、
  • 地域社会の教育環境作りに立ち上がらない、
  • 父母の教育への願いを政治に反映させる事ができない、

とPTA六つの欠陥として批判し、新たな「父母と教師の会」の設立を訴えている。

また、昭和44年(1969)、鳥取市で開かれた日教組大会でも、PTAの後援会的性格を批判するとともに、PTAの体質改善に乗り出すことを方針として決定している。

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