【第1節 PTAの誕生】占領軍によるPTA活動の啓蒙
(1)第1次米国教育使節団報告
日本のPTAは、米国教育使節団報告書から始まった。アメリカは、日本社会の徹底した民主化を図るため、戦後いち早く教育専門家を派遣し、その基盤となって社会を支えてきた教育について抜本的な改革を進めようとした。
使節団は、昭和21年(1946年)3月に来日し、早くも4月7日に報告書を発表したが、この中で、PTAに関し次のようにふれている。
1.「日本の教育の目的及び内容」の項で、
「教育といふことは、言ふまでもなく学校のみに限られたことではない。家庭、隣組その他の社会的機構は、教育において果たすべき夫々の役割を持っている。新しい日本の教育は、有意義な知識をうるために、できるだけ多くの資源と方法を開拓するよう努むべきである。」と、教育に果たすべき家庭の役割の重要性をうたっている。また、
2.「初等及び中等学校の教育行政」の項で、
「教育委員会の教育長は、児童生徒の福祉増進および教育計画の改善のために、父母と先生の会に激励を与える義務を有する」とし、
3.「成人教育」の項では、
「学校はまた、成人教育を振興するための潜在力であり、母胎である。学校に夜間部を設けたり、両親と教師の会の強化、討議や公開討論会のための校舎開放などは、学校が成人教育に提供しうる援助の2、3の例にしかすぎない。」としている。
直接PTAという言葉は使っていないが、PTAの役割の重要性と設置・支援の必要性を示唆している。
(2)極東委員会教育改革指令
また、昭和22年(1947)4月11日、極東委員会(米、英、ソ、中、仏、オランダ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インド、フィリピンの11か国からなる連合国の最高決議機関)も、「日本教育制度改革に関する指令」で「実行できるところでは、父母と市民は学校とその他の教育機関の管理に、その発展に、かつその活動に協力せしめられるべきである。」(第17項)とするとともに、「教育団体、父母と先生の会の結成と頭の切り替えが奨励されなければならぬ。
そして、日本人に、民主日本における教育方針の意味深い改革を認識させるために、それらの団体が具体的な教育上の問題を考究することを奨励しなければならない。」(第23項)とし、PTAが民主主義教育推進のために積極的な役割を果たすことを期待し、勧奨した。
(3)GHQ/CIE・地方軍政部
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)はこうした基本方針を元に、一般成人に対して民主主義の理念を啓蒙することが、新生日本の政治基盤形成上、あるいは占領政策の目的達成上不可欠の要件であるとして重視し、そのための有効な方途としてPTAの設立と普及を奨励する方針を掲げた。
GHQの方針を具体的に推進したのは、中央においてはCIE(民間情報教育局)、地方にあっては地方軍政部であった。
CIEは文部省を通じて、全国的にPTAの指導、・支援を行ったが,地方では、地方軍政部の指導が大きかった。地方軍政部は制度的にはアメリカ太平洋陸軍総司令部に属するが、実質的にはGHQの下、地方段階で占領政策の実施に当たり、その状況を監視する機関として機能した。
任務の中には、
- 民主的に創設され行動する専門協会とPTAの発展をはかること、
- PTA会合のために学校施設の利用を促進すること、
が掲げられており、地方での実地のPTAの普及・指導に大きな役割を果たした。特に、京都府、大阪府、福岡県などの西日本にその影響が顕著で、PTA組織の模範として「育友会規約」が地方軍政部の指導によって作成されるところもあった(京都府軍政部)。