第2章 PTA活動の定着
第2章 PTA活動の定着

【第1節 日本型PTAの定着】PTA以外の団体の成立

PTAおよび日本PTA全国協議会は組織として順調に発展定着していったが、日教組の違法なストライキ闘争を巡って、一部の教員などとの関係では、協力連携の基盤たる関係を構築することができない状況にあった。

こうしたことから、教職員組合や一部の教職員の支援等により、日本PTA全国協議会とは立場を異にする親と教員の全国組織が作られていった。

昭和27年(1952)5月には、教員組合と密接に協力する「日本子供を守る会」が日教組婦人部などにより結成され、また、昭和28年には「母親と女教師の会」が結成されている。
さらに、昭和30年(1955)6月には、全国60余の婦人団体、2,300人の参加で、「日本母親大会」が開かれている。

逆に、こうした動き対抗する目的を持った団体として、昭和32年8月、「東京都父母会議」が結成され、33年3月には「全日本教育父母会議」が結成されている。 "日本の教育を親心で守る" のスローガンのもと、日教組の過激な運動を批判し、「日本の教育について父母の願い」を実現する活動を行った。

このページのトップへ